お経を聴く機会

真言宗の寺に行く機会があり、久々にお経を聴いた。

南無大師遍照金剛とかオンバサラうんちゃらかんちゃらーのやつである。

私の界隈は葬式や法事といえばもっぱら浄土真宗である。
浄土真宗は大谷派であろうが本願寺派であろうが、庶民に都合の良い、一番楽な仏教宗派だ。

法然が
「南無阿弥陀仏ってめっちゃ唱えたらいいよ!」
と言ったあと、弟子の親鸞は
「木像とか絵像とかいらないよ!あ、念仏は心の中で唱えるだけでいいよ!肉食っていいし結婚してもいいよ!」
と、大変敷居を低くし、忙しい庶民に大きく受け入れられることとなる。

高尚なものである仏教を色々とハードルとルールを容易にして庶民に広める手法。
破壊的イノベーションの基本である。

さて、日本の仏教、特に真言と呼ばれるいわゆる“お経”は、
現在のインド公用語のひとつでもあるサンスクリット語の音写が起源である。
音の抑揚としてはサンスクリット語の般若心経の方が音楽っぽく、日本の方が呪文っぽい。
呪文っぽいがゆえに、なんとなくありがたくて効果がありそうである笑
経験上、浄土真宗が一番歌っぽいなと思っている。

音楽とのつながり

そもそも音楽と宗教は大変関わりが深く、音楽の歴史は宗教の歴史と言って差し支えないだろう。
各宗教と音楽との関わりはそれぞれ記事にしたいと思う。
昭和から平成の世にかけての日本における「音楽商売の手法」は新興宗教を手本にしたものに他ならない。
そこらへんの掘り下げは置いといて。

仏教音楽の古くは声明(しょうみょう)と呼ばれる、「説法を覚えやすくするために節をつけたもの」が始まりという説があり、キリスト教に賛美歌、神道に神楽、仏教に声明(お経)、のようなイメージで良いかと思う。
説法をわかりやすく。。

3.141421356→一夜一夜に人見頃

みたいなことなんだろう。
あるいは歴史ラップ的なことだろうか

仏教音楽は邦楽の土台

人間の表現への欲求というのは大変なもので、
明治時代になると、賛美歌によるキリスト教の布教活動などを手本に、
西洋音楽の手法を取り入れ、唱歌やオペラ、交響曲などに仏教を表した
「仏教賛歌」などを作る動きが活発になった。
仏教なのに仏教版賛美歌を作っちゃおうというあたり、さすが日本人である。
そしてこれは声明とは違う音楽的条件で作られたがゆえ、
当時の仏教会で言えばいわゆるポップスであり、
まったく新しい布教の在り方を示したのである。
それらは後の平曲や謡曲などの邦楽の発展に大きく影響したと言われている。

21世紀のお坊さんはアーティスト

ご存知の通り2000年代に入ると、お坊さんのイノベーションが止まらなくなる。
イノベーションというか、もはや暴走と言ってもいい笑
これはインターネットの普及が影響していると思う。
動画投稿サイトにはお坊さんのネタ動画であふれた。

ニコニコ動画では蝉丸Pさんが投稿した
『【仏具で】仏式クリスマス法要・サンタ菩薩供養【演奏】』は
85万回再生を叩き出している。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm9178632

そもそもお坊さんは、いわば「声の仕事」であり、仏具は「楽器」に相当し、
相手の心に向けて話をするので、会話が上手く、面白い人が多い。
面白い人は当然、面白いことを考えるのが得意だ。
表現方法として音楽や絵は非常に選びやすい。

「おもしろがってやる」ということの本質は「自己表現」である。
自己表現のなかに僧侶としてのアイデンティティを盛り込んで外に発信する。
声明に始まった仏教音楽は多くの脱皮を繰り返しながら、
宗教から表現へと形を変えて、自分を律する大切さを我々に教えようとしている。

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