雑貨カフェ チリンとチャイの思い出

焙じチャイとキーマカレー

大阪は難波千日前。
一般的にミナミと呼ばれる地域(宗右衛門町界隈)よりけっこう南側。
木造3階建、一階がアジアン雑貨や服飾、二階がカフェという当時のミナミには珍しい、オシャレな場所。
その店の響きもあいまってオシャレに思ったのかもしれない。

カフェ チリン

ここ最近はやっとこさ「チャイ」が市民権を得てきたが、日本におけるチャイといえば、1972年のことである。
大阪中津にあるCANTE GRANDEがチャイを大きく日本に広めた。
余談だが、カンテはウルフルケイスケとトータス松本がバイトをしていたことでも有名である笑

本格的なチリンのキーマカレー

チリンはカンテがチャイを広めた少しあとに生まれた雑貨カフェだ。
チャイとカレー、オリジナルのケーキなどを出していた。
そしてなにより

日本で初めて焙じ茶にミルクを加えて出した店である

しかしもったいないことに、特許を取らなかったせいで(おかげで?)あらゆる企業にパクられ、ついには昨今の焙じ茶ラテブームがあるのである笑

可愛いカップに焙じチャイ


初めて先輩に連れてきてもらった私は当時20歳で、専門学校を卒業した後、現在の株式会社USENの大阪支社で洋楽を担当していた。
ビルボードチャートは毎週Usherの楽曲が独占し、Alicia Keysも負けじと人気を博していた。
洋楽チャートではR&B・Hip Hop全盛の頃だ。
USENから10分か15分くらい歩いたところ、難波ではあるけれど、石を投げればそこはもう日本橋という立地だ。

店に入った第一印象。

「なんて落ち着く空間だ。。。」

在りし日のチリン

天井が高く、大きな梁が飛び出し、間接照明が木の温かみを強調している。
また、大きな窓から差し込む日光が、ところどころに飾られた観葉植物の緑を照らして、大変綺麗で気分が良くなるコントラストを演出しているのである。
古い建物を無理に新しく見せないありのままをうまく活用した空間だった。
座ったら最後、もう動きたくない。。。そんな空間だったのだ笑
流行りそうなものなのにそこまで混んではおらず、落ち着いたジャズが流れ、お客さんたちも少し品のある静かな佇まいだった。

 

初めて食べた本格キーマカレー、初めて飲んだ焙じチャイ。
日本式のカレーが主流な時代に、スパイシーで刺激的、少しオリエンタルな風貌のカレーライスとは対照的に、ミルクによりまろやかな風味となった焙じ茶の香りが、字のごとく「ほっ」と一息つかせる。

ここに通おう。。

以降15年に渡り、私はこの店で色々なことを学び、色々な人と出会うこととなる。

私はボスと呼んでいる

マスターとママは二人とも大変温厚で博識である。
過去、色んな仕事や趣味を持ってきたおかげで、
服飾や雑貨だけでなく、自転車、お菓子、植物、パワーストーン、ボルダリング、酒、写真、中国茶などなど、ありとあらゆる物事に精通しているスーパーマンたちだ。
そのくせ、知識にあぐらをかくことなく常に色々なことにチャレンジしている。
私は、そんな圧倒的な経験値を持つ彼らに敬意と親しみを込めて、マスターをボスと、ママを名前で呼んでいるのだ。
「なんでもなんとかなるもんよ」みたいなことが口癖で、何かを始めようか迷っている時にいつもその言葉に背中を押されるのである。
店の味と雰囲気はさることながら、この人格こそチリンの1番のウリだと思う。
私は昔、雇われ店長としてコンビニ2店舗の立ち上げを行い、店舗運営やtoCビジネスについてはそれなりに勉強し、実践してきたつもりであるが、「どうすれば魅力ある店づくりができるか」という点において1番の答えは「人」だと確信している。
「人材」でも「接客」でもなく「人」である。

文化の発信

カルチャー系のブログを思った理由のひとつにこのチリンとの出会いがある。
そのうち書こうと思うが、カルチャーというものはそもそも大衆に根付き習慣化したものである。
服の文化、音楽の文化、食の文化、ありとあらゆる文化はその時代に生きる人々の想いなどが形に現れたものだと思っている。
そこには人の生活や人生があり、ビジネスチャンスもある。
そういった一見見逃してしまいそうな点を発信してみたいと思ったのがきっかけなのだ。

まだブログの書き始めがゆえに、最初は自分語りなどが多くなるかと思うが、こういった背景から世の中を見ている人間が書いているのだと思っていただければ、今後の記事もある程度許容していただけるのではと思っている。

チリンに関しては大変ネタが多いために、今後ちょこちょこ書かせていただこうと思う。

続く

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